"DCPRG活動終了に関して"を受けて


 DCPRG解散について菊地本人が語っています。

 http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=070430215537&SSID=493f35a935e0478e769a08ea64c83b4d

 (すみません。このリンクであっているかはわかりません。とりあえずドットコムの速報の中から、last dayをたどっていけば、必ずあると思います。)

 的確にはできませんが。僕からの感想を。

このたびDCPRGの活動を終了しました。ワタクシ今回「解散」という言葉は使っておりませんで「活動終了」という言い方で統一しております。DCPRGは「解散」と称するには状況が違い過ぎます。

 解散って一報では書きましたが、解散という表現は適していないと。ただ、僕はもうこのDCPRGは復帰してこないものだと思ったので、解散とわかりやすい形で書きました。

第ゼロには「新しいジャズファンクサウンドを思いついた。それがDCPRGでは出来ないので。、第一には「AMARIKA」というアルバムを作る事で「ワタシ(菊地成孔)にとっての未経験/未知/妄想としてのアメリカ」という状況が終了した。アメリカン・クラーヴェ主宰、キップ・ハンラハン氏と一緒に音楽をクリエイトする話が出ています(正式な契約等はまだ。ワタシのCDやライブを聴いて発狂したキップのカマしレヴェル)。そうした動向も含め、今年から来年にかけて、いよいよニューヨーク、シカゴ、ロス、ワシントン、DC等に直接向かい、つまり北米と直接接触してこようと思います。第二には、前述の通り「もう、これ以上の発展は無い」という、ピーク感の明確な感得です。

 これが理由。なんかゼロと2は予想通り。1もまあ考えつく範囲内だけど、あとのつけたしの話はすごいね。

マイルスの教えで、完成したら次に。また次に。<留まるな。そして、常に前の時代が懐かしい奴らに文句を言われていろ>。これはマイルス信奉者の中でも成績は中の下ぐらいであろうワタシが唯一遵守している事かもしれません。ワタシが過去やって来たバンドは、ピーク時に解散という事が多かったので、そもそもワタシのフロアとメールボックスとスレッドには「昔は良かった」という、しがみつきの人々が一人も居なく成った事がく、DCPRGティポグラフィカとグランドゼロのしがみつきから嫌みを言われ…。

 これが精神面での理由。わからんでもないです。

ワタシは今後、スパンクハッピーの後のポップスを始めますし、DCPRGの後のジャズやファンクを始めますし、他にもいろいろ始めますが、

 これからの展開がちょっとだけ出てきた。まあこんなところでしょう。

常に前に進む事、一番良い時にスパっと奇麗に止める事。という美学は、この国から失われつつあります。関係のありかたは依存一色に、欲望のあり方は退行一色に、そしてその事が既得権として、胸を張って堂々とまかり通る時代になりました。センスが古いと言われようが、つまらねえと言われようが、ワタシはそういう時代はファック以下だと思います。頭の中に次の音楽(アフター・スパンクスとしてのポップス、アフター・デートコースとしてのファンク)が鳴り始めた時、それは来るべきニューシングの到来であると同時に、一番良い時に、続けられればいくらでも続けられるにも関わらず、先に進む為にスパッと止める。という事が表現出来るな。と、ワタシは思いました。

 ここの部分が一番ズバット心に来る。この決断はプライスレス。

DCPRGが出来た時、誰に構想を話そうと、怪訝な顔をされるか嘲笑されるだけでした。彼等が最初の「変化を受け入れない人々/状況に順応しきってしまう人々/創造力に欠ける人々」でしたが、そんな先人達を嘲笑とともにブッチ切り、まったく新しいダンス衝動を放ち、受け入れて頂く事でDCPRG の歴史、ひいてはワタシの歴史は進んで来ましたし、それだけは頑固一徹変わらないのであります。

 うんうん。すばらしいです。

事前に予告しなかったのは「解散ツアー」なるものの、じましーく、涙ぐましーく、せこーい感じが、ワタシは言うまでもなく、全員まったくノーだったからです。

 それでいいと思います。僕は用事があっていけなかったんですが。それもそれで性なのかなと、思うわけです。むしろ解散コンサートなら見に行きたくもなかった。必死に踊れないから。


 まあっと、こんな感じでした。本当に残念だけど、これも世の常と。でもあの熱狂やっぱり惜しいな〜。それにしても、カフカアメリカ買わないとな〜。

 あと、ラストライブDVD&CDが出るみたいです。いつになるかはわからないけど、今年中に出るでしょう。